January 2011
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いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論 〜III 出会いへの模索〜
・社会に己を求めていくように躾けられた男は、女が男に抱く幻想とは較べものにならない程の量で、社会に幻想を抱いている。社会というものの、その総体性、抽象性のまえに、女が男を通じて己を視ていく程には、男は、社会も、己も、そして女も視えない。社会に対する幻想と己の視えなさ故に、挫折と絶望は男の必然なのだ。である以上、男もとり乱して当然なのであるが、男の面子がその手足を封じている。<男らしさ>の抑圧とは、とり乱「させない」抑圧であり、面子の抑圧に他ならない。
・よほど鈍化してるか、よほど鉄面皮か、よほどエゴイスト以外、日々己を騙し、他人を欺く「痛み」なしに生きていける人がいるというのか。階級社会とは<誰にも出会えない体制>のことだ。「痛み」を「痛い」と感じない人は痛くない人ではなく、己をあくまで光の中にいると思い込みたい人なのだ。「痛み」を痛いと感じないように呪文をかけ続けている人だ。
・...
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いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論 〜II 個人史〜
・いくら理屈で、アメリカ帝国主義と闘う被抑圧人民の関係をスッキリさせたところで、片足なくした人間にとっては、まず失った片足からすべての物ごとは始まるのであって、理屈は失った片足の代わりにはなってくれない。「いま」痛い人間は、常に微視的にならざるをえないのだ。
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いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論 〜I リブとはなにか〜
・「りっぱな人になれませんヨ」と尻ひっぱたかれ<男らしさ> の鼻づらを社会に競い合ってきた、競走馬としての男の、その歴史性とは、価値あるものにならねばならないという強迫観念と化して、男の中に深く血肉化されている。価値あるものにならねばならない、というそのことの裏を返せば、なんのことはない、お前は本来無価値なんだということで、<奴隷頭も奴隷のうち>ということだ。 〜 女が男に媚びて生きる生であるなら、男は、社会に媚びて生きる生としてある。
・社会のたてまえが要求する男とは、生産性の論理を裏切らない<強い男>であり、男は常に強く「あらねばならない」己に合わせて、より強く、より早く走ることを己に課していく。男は己を創っていく中でしか、その存在を許されず、しかもその創り方はあくまで社会の大義に向けてであり、男にとって、己を創るとは、己を見失っていくに等しいことなのだ。
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コントロール社会という領 土での治安維持において、殺すこと は避けなければなりません。メディ アを考えれば一人の死者もあまりに 高くつくからです
– http://daigakuseishiwomaku.blogspot.com/2010/07/2005.html
My Top 5 Artists (Week Ending 2011-1-23) →
Stormwarrior (11)
Iced Earth (9)
Carcass (8)
Rebellion (1)
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「経済」といってすぐ思い浮かぶのは、政府がよく言う経済成長、景気、企業の収益などだ。しかし経済というシステムが果たさなければならない役割は、人々の衣食住をキチンと...
– いらない!APEC 【報告】11/13 オープニング集会
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闘争のアサンブレア 〜ブエノス・アイレス報告〜
・アルゼンチンにおいて、民衆蜂起に先立つ十年間余りのネオリベラル体制のもとで起こったことは、図式的になることを恐れずに言えば、要するに、「社会」全体がまるごと「市場」のもとにおかれたということです。社会の活性化がひたすら市場のロジックのみに従っておこなわれるようになったのです。このことは、二つの側面から考えることが出来ます。ひとつは、かつては「権利」とされていた領域が「購買力」の領域に編入されたという側面です。そして、もうひとうは、社会全体が脱政治化されたという側面です。 〜 重要なことは、このことによって、人々が、物理的にも精神的にも、政治的な領域から遠ざけられたということなのです。君たちは労働に専念してくれ。政治のことは、僕たちエキスパートに任せておいてくれ。ネオリベラル政治経済エリートは、人々にそう告げて、社会をまるごと脱政治化したのです。2001年12月の民衆蜂起は、ネオリベラル体制...
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闘争のアサンブレア 〜ブエノス・アイレス報告〜
・アルゼンチンにおいて、民衆蜂起に先立つ十年間余りのネオリベラル体制のもとで起こったことは、図式的になることを恐れずに言えば、要するに、「社会」全体がまるごと「市場」のもとにおかれたということです。社会の活性化がひたすら市場のロジックのみに従っておこなわれるようになったのです。このことは、二つの側面から考えることが出来ます。ひとつは、かつては「権利」とされていた領域が「購買力」の領域に編入されたという側面です。そして、もうひとうは、社会全体が脱政治化されたという側面です。 〜 重要なことは、このことによって、人々が、物理的にも精神的にも、政治的な領域から遠ざけられたということなのです。君たちは労働に専念してくれ。政治のことは、僕たちエキスパートに任せておいてくれ。ネオリベラル政治経済エリートは、人々にそう告げて、社会をまるごと脱政治化したのです。2001年12月の民衆蜂起は、ネオリベラル体制...
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闘争のアサンブレア 〜正義がないなら、エスクラチェがあるー「母たち」と「子どもたち」〜
・H.I.J.O.S.(「忘却と沈黙とに抗するアイデンティティと正義のための息子と娘たち」グループ)の活動は、彼らの親たちを拷問にかけたり虐殺したりした人々に対して、「エスクラチェ」をおこなうことであると言えます。彼らのスローガンのひとつは「正義がないのなら、エスクラチェがある」というものです。エスクラチェにはいくつかの段階があります。(1)虐殺者を同定すること。(2)虐殺者のことをその近隣住民たちや職場の同僚たちに知らせること。(3)近隣住民や同僚たちに日時を告知し彼らをエスクラチェに招待すること。そして最後に(4)虐殺者の自宅前あるいは職場前でエスクラチェを実行すること。 〜「その瞬間から、「どういう人物」で「何をしたのか」ということが「みんな」の知るところとなり、処罰は近隣住民たちに手渡されることになる」。
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闘争のアサンブレア 〜正義がないなら、エスクラチェがあるー「母たち」と「子どもたち」〜
・H.I.J.O.S.(「忘却と沈黙とに抗するアイデンティティと正義のための息子と娘たち」グループ)の活動は、彼らの親たちを拷問にかけたり虐殺したりした人々に対して、「エスクラチェ」をおこなうことであると言えます。彼らのスローガンのひとつは「正義がないのなら、エスクラチェがある」というものです。エスクラチェにはいくつかの段階があります。(1)虐殺者を同定すること。(2)虐殺者のことをその近隣住民たちや職場の同僚たちに知らせること。(3)近隣住民や同僚たちに日時を告知し彼らをエスクラチェに招待すること。そして最後に(4)虐殺者の自宅前あるいは職場前でエスクラチェを実行すること。 〜「その瞬間から、「どういう人物」で「何をしたのか」ということが「みんな」の知るところとなり、処罰は近隣住民たちに手渡されることになる」。
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闘争のアサンブレア 〜雇用主のいない企業、オルターナティブ市場〜
・工場を占拠したらいったい何が起こるのかということが問われたのです。初めに政府によって一定の猶予期間が与えられ、そこで労使の間で状況についての折衝がおこなわれることになります。しかしその後、最終決定を下さなければなりません。当時、考えられていら選択肢は次の三つでした。(1)司法当局が法的所有者に有利な判断を下し工場が閉鎖される。この場合、保安隊が工場の強制立ち退きに着手することになります。(2)生産手段に対する労働者たちの権利が認められ、労働者たちに生産組合の資格が与えられる。(3)労働者たちが彼ら自身のコントロール化での工場での国有化を求める。
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闘争のアサンブレア 〜雇用主のいない企業、オルターナティブ市場〜
・工場を占拠したらいったい何が起こるのかということが問われたのです。初めに政府によって一定の猶予期間が与えられ、そこで労使の間で状況についての折衝がおこなわれることになります。しかしその後、最終決定を下さなければなりません。当時、考えられていら選択肢は次の三つでした。(1)司法当局が法的所有者に有利な判断を下し工場が閉鎖される。この場合、保安隊が工場の強制立ち退きに着手することになります。(2)生産手段に対する労働者たちの権利が認められ、労働者たちに生産組合の資格が与えられる。(3)労働者たちが彼ら自身のコントロール化での工場での国有化を求める。
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闘争のアサンブレア 〜ピケテロ運動―自律性・水平性の実践〜
・新たな社会的主役を特徴付けているのは国家とのある種の新たな関係性であり、その関係性においては、国家は脱中心化されており、また国家は自己構成のための資源としても、無関係なものとしても、対峙すべき障害としても生きられるものとなる。そして運動と国家との間にこれら三つの位置関係のうちのどれもが他のものを排除することなく、それらがすべて共存していなければならないのです。
・資本主義に対する自律性の問題についてですが、私たちがMTDのメンバーたちとともに学び得たことは、資本主義もまた一つの『主観性生産様式』であるということ、そしてまた、資本主義に対する闘争は新たな社会的関係の具体的で日常的な構築なしには抽象的なものにとどまってしまうということでした。...
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闘争のアサンブレア 〜ピケテロ運動―自律性・水平性の実践〜
・新たな社会的主役を特徴付けているのは国家とのある種の新たな関係性であり、その関係性においては、国家は脱中心化されており、また国家は自己構成のための資源としても、無関係なものとしても、対峙すべき障害としても生きられるものとなる。そして運動と国家との間にこれら三つの位置関係のうちのどれもが他のものを排除することなく、それらがすべて共存していなければならないのです。
・資本主義に対する自律性の問題についてですが、私たちがMTDのメンバーたちとともに学び得たことは、資本主義もまた一つの『主観性生産様式』であるということ、そしてまた、資本主義に対する闘争は新たな社会的関係の具体的で日常的な構築なしには抽象的なものにとどまってしまうということでした。...
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闘争のアサンブレア 〜19/20 権力を解任する民衆蜂起〜
・私たちの観点から見ると、事実に対してもっとも誠実で、もっとも意味のある解釈は、「みんな去れ」というスローガンを、特定の人々を対象としたものではなく、政治を行なう―社会的なものを組織する―ひとつの形式を対象としたもの、すなわち「政治的代表制」に基づいた形式それ自体を対象としたものであるとみなすような解釈です。あのときに起きたことは、「代表する」ということをめぐる諸関係それ自体に対する大規模な反論であり、単に特定の「悪い代表者」に対するものではなかった。
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・私たちの観点から見ると、事実に対してもっとも誠実で、もっとも意味のある解釈は、「みんな去れ」というスローガンを、特定の人々を対象としたものではなく、政治を行なう―社会的なものを組織する―ひとつの形式を対象としたもの、すなわち「政治的代表制」に基づいた形式それ自体を対象としたものであるとみなすような解釈です。あのときに起きたことは、「代表する」ということをめぐる諸関係それ自体に対する大規模な反論であり、単に特定の「悪い代表者」に対するものではなかった。
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